アニメの感想の部屋

はじめに

けいおん!
涼宮ハルヒの憂鬱(2009年版)
大正野球娘。
狼と香辛料U
とある科学の超電磁砲
そらのおとしもの


■はじめに

深夜アニメといえば、
高校生の頃『ニニンがシノブ伝』を見てたくらいで他はあまり縁がなかったのですが、
08年にふとしたきっかけで見た『ストライクウィッチーズ』の狂った世界に衝撃を受け、
「今一番新しいのは深夜アニメだ!」と一人遅れて盛り上がり、それ以来
映画と同じくらい気になる存在になりました。

テレビアニメのいいところは、映画見に行くより安い・毎週何かしら新しい動きがある、ということですね。
逆に難しいのは、1クール全部見ないと制作者の意図が量りづらい(感想が言いにくい)ことでしょうか。
かといってやっと最後まで見終わったときには、もう最初の方を忘れていたりします。
あと、1話だけ見て「つまらん」と思って切った作品が、後で世間で大盛り上がりを見せると
非常に寂しい気分になるものです。
(あと野球の延長も天敵。あと毎週3、4本チェックするとなると結構大変だったり)

そんなわけでアニメの感想ですが、あまり後で見直したりしてないので
ほとんど妄想に近い部分もあるかもしれません。
また、新作は基本的に京都のテレビで映るものしか見ておらず、
見てる作品数が少ない中で偉そうに比較して論じたりしますがご勘弁ください。

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2009年に見たアニメ

■けいおん!

 軽音楽部の女子高生たちの日常を描いた上半期最大の話題作。

主題歌がオリコン上位を占めたり劇中に登場したギターの売上げが伸びるなど一般層にまで侵食してきた盛り上がりを見ると、「萌え」は既にファッションなのだなと感じる。

この作品の最大のポイントは、一見現実と地続きの日常風景を描いているように見えて実は完全なるファンタジーであること。その例として、ギター初心者である主人公の唯が大した練習もしてないようなのにめきめき上達していくことが挙げられる。ギターを3ヶ月ほどで挫折した者としては大きな違和感を覚える部分である(劇中ではチャルメラのメロディーが「まだこれしか弾けない」というギャグとして用いられていたが、これだってそうすぐに弾けるもんでもなくね?僕がよっぽど向いてなかっただけですかそうですか)。また唯が十字屋で25万円のギターを欲しがった時には、それを手に入れるためにどうするのかと思ったら部員の一人の紬というキャラが実は十字屋の社長の娘という設定で、彼女がその地位を利用して店員に無理やり5万円にまけさせるという極めて非現実的で安易な展開を見せる。そしてこの軽音部員たちは普段ろくに練習せずお菓子ばっか食ってるのに学園祭などではそれなりに演奏できてしまうのである。

真面目に見たら憤慨しそうな話ばかりだが、実はこれは全てが架空のファンタジー世界、あるいは我々の手の届かない天上世界の話と割り切って見ると納得がいく。可愛い女の子しかいない桃源郷(あるいは登場人物の誰かの夢の中の話なのかもしれない)でのまったりした平和な時間。それを外部から観察して癒されればそれで十分。実際そうして見る分にはとても楽しい作品であることは間違いない。女の子可愛いしな。

しかしそう考えると中盤から目立ち始める顧問のさわ子先生の存在がどうしても邪魔。この女性は部員たちに萌え萌えなコスプレをさせて悦に浸るというかなり視聴者目線に近い位置にいるキャラクターなのだが、さっきまで気持ち良く鑑賞していた流れからすると強い違和感を覚える。美少女キャラと視聴者の間に割り込んで過剰な萌えの押し売りをする大人(制作者)の存在を感じるからである(特にクリスマス会は正直ウザかった・・・)。萌えアニメが自ら萌えに言及してしまうと見ている方は醒めるのである(僕が『涼宮ハルヒの憂鬱』の朝比奈みくるのコスプレを芯から楽しめないのもこのせいである)。萌えは鑑賞者が自ら見出す、あるいは自ら見出していると錯覚させられるべきものである。

そんなこんなで本編ではいまいちな回もありましたが(ダレる回もあった)、番外編として作られた最終話は傑作でした。他の回に比べて少ないセリフで、キャラクターたちの目線や仕草で静かに語られるある冬の日の風景は、観察する悦びに満ちておりました(作詞のインスピレーションを得るために独りで寒い海に行く澪はやはり努力の子です)。

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■涼宮ハルヒの憂鬱(2009年版)

この作品最大の難点は、SOS団の日常生活がまったく楽しそうに見えないことでしょう。メイドの格好をした団員の女の子がお茶を入れてくれるのを眺めながらボードゲームで遊ぶしかやることがない、なんて絶対変でしょ!楽しくないでしょ!それを主人公キョンが自らが帰属するコミュニティーとして肯定する時点で齟齬がある。これは原作でも繰り返し描かれる一番退屈な部分で、一つのアイデアを無理やり引き伸ばそうとして無理が生じているのだと思う。

また物語の展開も、現実的に考えればSOS団が周りの人々の努力を踏みにじる自己中心的集団にしか見えない瞬間が多々あるのだが、これは視聴者側がギアチェンジして「良し」とする他ない(アニメの鑑賞態度としてこのギアチェンジの概念は重要だと思う)。この迷惑な集団というSOS団の本質が作品内で表面化するのが今回追加された新エピソードの一つ「溜息」なわけだがこれはとにかく暗い。ハルヒの行き過ぎた行いをキョンが見咎めて二人の間で衝突が起こるという展開だが、そこで急に現実世界の規範に繋げられると、見ている方としては「確かにこいつら実際にいたとしたらとんでもない奴らだよな」と思ってしまうわけで、この作品世界がフィクションと現実の微妙なバランスの上に成り立っていることがよく分かる。映画撮影のアイデア自体は好きです。

今回最大の話題と言えば同じ話を8回繰り返した「エンドレスエイト」に尽きますが、これはもう「消失」劇場版を準備するための手抜きでしょう。作画や演出が毎回違うといいますが、脚本はひとつなんだからやっぱり楽なんじゃない?あるいは本気でやっているとしたら、完全にすべっているでしょう。微妙な差異を楽しんでくださいと言われても・・・。今回の試みがネットで反感を買ったのを見ると、視聴者(少なくともネットの人々)はこの作品の日常世界に浸って楽しんでいるわけではないことが分かる。やっぱり普段のSOS団は面白くないのである。もしこれが『けいおん!』だったらまだ見られたかもしれない(変わらない日常が本質であるから。あとキャラが可愛いから)。そういう意味で『ハルヒ』はキャラクターで見るアニメでもなく、ストーリーで何かしらの驚きがあってこその作品なのである。

そんなわけで2月公開の劇場版「消失」に期待。P.K.ディックばりの現実崩壊が展開されるであろう。ただ原作そのままやってもファンしか楽しめないだろう。劇場でかけるからには、シリーズ未見の観客でも「ハルヒ」とは何か分かるように導入となる仕掛けを用意して欲しい。もしそんな離れ業をやってのけたら京アニまじすげーとか思う。

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■大正野球娘。

大人気となった『けいおん!』の後番組なだけに初めから比較される運命にあったが、 図らずも『けいおん!』のアンチテーゼとなった重要作。『けいおん!』ではバンドだったがこちらでは野球に打ち込む少女たちの姿が描かれる。ただしこちらは真面目に野球をやるのである。

あえて流行の萌え系の絵柄を選択しなかった時点で、見た目の萌えに頼らず物語で見せるという作り手の意志を感じる。

物語は序盤で最大の転換点を迎える。令嬢の晶子が婚約者を見返すために同級生を集めて即席の野球チーム「櫻花会」を作るも、最初の練習試合で小学生チームにボロ負けし、野球ごっこは早くも終わってしまう。絶望感の中、櫻花会のメンバーは野球を続けるかどうかの決断を迫られる。紆余曲折を経て、メンバー全員が真剣に取り組む覚悟を決め、物語が再び動き出す瞬間は感動的である(繰り返すがこれでまだ序盤である)。もしこれが『けいおん!』の天上世界ならば試合には当然勝ってただろうし、野球ごっこは永遠に続いていただろう(もっとも『けいおん!』の場合は相手チームという「他者」は存在しないだろうから試合自体あり得ないけど)。挫折を経験してさらに強くなるという、成長物語の王道を進むのが『大正野球娘。』なのである。

その後も工夫を凝らした練習をしたり、相手チームを研究して対策を練るといった描写を軸に、それなりのリアリティーを保ちながら物語は実に真っ当に進む。女子校が舞台なだけにお楽しみの百合(ソフトレズ?)展開は用意されているものの、決して無理にエロ描写を入れることはしない。物語がしっかりと描けていれば、そしてその中でキャラクターが元気良く動いていれば余計な装飾は不要であり、視聴者もそれを期待してはいない、ということを制作者は分かっている(だから萌え絵を捨てたのだと思う)。

チームが合宿に行くエピソードでは、深夜アニメのお約束と言える温泉入浴シーンが一応用意されているものの、放送局の自主規制で画面が湯気だらけになるような過剰なサービスカットはなく、あくまで合宿での自然な一場面としてしか処理されていない。色気は全くないが、櫻花会の場合はこれでいいのである。小梅さんの裸を見せられてもかえって申し訳ない!

萌え絵でない分、即グッズ展開につながるような商品としての力は確かに弱いのかもしれない。しかしそれを捨ててまで物語に専念してみせた『大正野球娘。』は、安易な萌えとエロだらけの深夜アニメの中で孤高の存在なのである。

しかしそうすると一つ疑問が。なぜ我々はこれを夜中に見ているのか?NHKで放送してもいいくらいの教育的な内容だし(朝ドラ枠でもいける!・・・は言い過ぎか)、朝か夕方でやればいいのに。この作品が深夜アニメである意味とは?!
この問題は後々考えるとして、とにかく「よく見ると萌える」良作でした。

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■狼と香辛料U

第2シリーズだったが構わず鑑賞。中世ヨーロッパを思わせる架空の世界を舞台に若き行商ロレンスと狼の化身ホロの二人旅を描く。

これは何といってもヒロインのホロの魅力一点に尽きる!「わっち」「〜かや?」「〜りんす」など特徴のある可愛い話し方(遊郭の言葉らしい)にやられた。ホロが見たくて毎週チェックしてたようなもんだ。それ以外はハッキリ言ってどうでもよかった!貨幣や取引を巡る商人同士の頭脳戦が売り物なのだが、ストーリーが複雑でまったく追えずもう何がなにやら。そもそも経済の仕組みにあまり興味がないのでがんばって追おうとも思わないが。あろうとことかホロがほとんど登場しない回もあり、ロレンスと商売相手との会話だけで番組が終わった時は激しい怒りを覚えましたね。ホロを出せ!と。とにかくホロとロレンスがいちゃいちゃデレデレしてたらそれでいい。

萌えとストーリーという二つの要素があったとして、この作品は本来萌えコンテンツではないストーリーに無理やり萌えに落とし込んだもののように感じる。結果ストーリーと萌えが乖離している。同じことは『ハルヒ』にも言える。逆に最初から萌えに振り切っているのが『けいおん!』で、ストーリーから萌えを醸し出そうとしたのが『大正野球娘』。とりあえずもっとホロを見たくて原作も読んだが、原作もホロだけが良かったです。

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■とある科学の超電磁砲(若干ネタバレあり)

序盤はきれいな作画もあって楽しんでいたものの途中から大いに首を傾げたくなる、ある意味今年見た中で最大の問題作。超能力開発を目的とした学園都市に住む女子高生たちの日常と冒険を描く。

ハッキリ言ってこれは現代版『AKIRA』。同じく超能力がテーマであるということだけでなく、キャラクターの位置関係や物語展開が何となく似てる気がします。能力が高く学園のカリスマ的存在の御琴(みこと)は「金田」で、そんな御琴に憧れと劣等感を抱く佐天(さてん)さんは「鉄雄」、御琴の相棒の黒子は「金田」の相棒「山形」で、平和主義者の初春は「甲斐」ですかね。で、超能力研究に携わる木山先生が「大佐」と。

物語のキーになるのが都市の裏で流通する「レベルアッパー」という装置で、これを使えば超能力レベルが簡単に上げられるが代わりに副作用を伴うらしいという、まさに『AKIRA』でのカプセルに当たるようなアイテムなのですが(ドラッグの暗喩のように描かれている点も同じ)、これを無能力者の佐天さんが手に入れるまでの流れは実にスリリングでした。ついにサテンさんが覚醒し、御琴との間に「金田VS鉄雄」並のバトルが繰り広げられ、暴走した佐天さんの力により街は崩壊、少女たちそして学園都市の運命は?!という燃える展開を期待したのですが・・・

実際はこうならずガッカリ(当たり前か)。レベルアッパーを使ったサテンさんは即退場、物語は裏に潜む陰謀へと転換されてしまいました。そしてここからがひどかった。そもそも学園都市と言うのが能力第一主義の激しい競争社会で、佐天さんのように能力のない人間は凡人として鬱屈した日々を送るしかなく、その結果不良が増えたり爆弾テロを起こす者も現れて治安が最悪、という実に矛盾した社会なんですね。で、陰謀というのはこの底辺の人々の頭をレベルアッパーを通じて支配し別の目的に利用するというもので、それが人々の鬱憤から負のエネルギーを引き出し巨大な赤子のようなグロテスクな怪物を生み出してしまうんですね(ここでまた『AKIRA』ファン驚喜!)。そして改めて弱者VS強者の対立構造が提示され、佐天さん含む大勢の弱者の声に対して学園一の超人御琴さまはどういう決断を下すのかと思いきや、「こんなとこでウジウジしてないでもっかいがんばったらいいじゃな〜い」と軽く説教した挙句に超人パワーで怪物を吹き飛ばしてしまう!えー!そして何も解決せずエンド。

思えば爆弾テロの犯人が学園にはびこるいじめ問題を訴えたときも御琴さまは聞く耳持たず犯人を一発殴って説教して終わったわけです。基本的に物事は暴力で蓋をして、周りの人々も「レベル5はやっぱ違うわ」となぜか納得!もっと苦悩しろよ御琴!そこは超人のあんたが弱者の声を代弁して矛盾した社会をぶっ壊すとこだろ!それはあんたにしかできないことだよ!頼むよ!これでは佐天さんやその他の無名の人々がかわいそ過ぎる。無念。

現代的で切実なテーマを扱いながらなぜこうも中途半端になってしまうのか。ドロドロした話や鬱な展開がそんなに嫌なのか。可愛い女の子が描けたらそれでいいのか。そもそもテーマに対して真摯に向き合う気はあるのか。視聴者はなぜもっと怒らないのか。もしこれが今のアニメ世代に違和感なく受け入れられているとしたら(そして人気を得ているとしたら)、おじさんもう分からないです・・・。

怪物を倒した翌週は、視聴者サービスの水着大会でした。視聴者よお前らほんとにそれでいいのか!何か馬鹿にされてる気がしないか!

まあ、作画はほんとにきれいだったし、声優さんも良かったし、黒子は可愛いかったし(「ジャッジメントですの!」)、OPは格好良かったし、これでストーリーも良かったら神アニメだったのだが、残念。続編で盛り返してくれることを期待する。

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■そらのおとしもの

今期(09年秋)ベスト。パンツが渡り鳥のように飛んでいく第2話エンディングの衝撃!実際見ると良く出来たCG&作画そして切ない曲(「岬めぐり」を声優さんがカバー)が合わさって何だか感動的な映像になってる。ギャグでここまで振り切れてくれると面白い!アホなことを真剣にやることの素晴らしさ。以降もギャグありエロありシリアスあり感動ありの安定飛行で好感がもてました。エンディングは毎回なぜか懐メロのカバーで、アニメ声と歌謡曲が不思議なほど合ってて思わずCD買いました(「春一番」最高!)。

ストーリーは田舎に住む平凡な男子高校生の前に謎の美少女が現れて平和な日常が崩れ始めるという、すわ『エルフェンリート』か!と期待させる展開でしたが、こちらは日常パートでのギャグの部分でのデフォルメが激しすぎて急にシリアス展開になった時のショックはそれほどでもありませんでした。でも暴力の世界と愛の世界の対立という『ヒストリー・オブ・バイオレンス』みたいな話は萌えアニメに実によく合う!キャラに対する思い入れが強い分、そのキャラが暴力にさらされた時の痛々しさや悲しさは倍増するわけですね。また萌え萌え〜な楽園世界にいきなりグロテスクな暴力描写が現れるというギャップは、暴力が本来持つ恐怖やショックを改めて認識させます。『エルフェンリート』はその結晶みたいな作品でしたが、『そらのおとしもの』でも冷酷で恐怖に満ちた奴隷制度(特に小鳥の場面はエグい)の裏返しとして平凡な日常の素晴らしさが描かれていて感動的でした。イカロスとニンフには幸せになって欲しいものです。

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